英語を小学校で学習する意味

英語を使えるようにするという意味では学習は小学生のうちから始めるべきである。

中学生は思春期で、コミュニケーションを学ぶのには恥ずかしさなどを伴う場合も多い。

例えば、good morningを小学生で学べば、英語っぽくgood morningと発音することにためらいが少ないが、中学生はカタカナ英語で「ぐっどもーにんぐ」と発音したくなる子が多いのではないか。

もちろん、小学生のうちに習っていたからといって、中学に上がって、ネイティブっぽい発音を続けるとは限らない。でも、ネイティブ風な発音をすることへの抵抗や恥じらいは減ると思うのである。

 

英語を使えるようにするという点では、学校のうちから勉強する方が効率的であると考える。

 

自動翻訳機の発達が著しく、将来的にはコミュニケーションは機械を通せば済むという話も聞くが、それでもコミュニケーションではリズム、間合いが大事だと思うから、翻訳機を通してできるコミュニケーションでは限界があると感じる。ビジネスonlyならいいのかもしれないが。

 

もう一つ考えなければいけないことは、英語を学ぶことが人格形成を担う上で、どのような影響を与えるかである。

 

英語を学ぶ、言葉を学ぶ、には文化を学ぶということがつきまとう。

例えば、lady firstという言葉を学べば、子供たちは男子と女子の関係性について、西洋的な文化を学ぶことになる。

例えば、ALTにDon’t be shy!と言われれば、人前で喋ることの恥を捨てるという西洋的な文化を学ぶことになる。

「個の主張」を求める西洋文化と「協調性」を重んじる日本文化(東洋文化)の狭間で、子供たちは揺らぐことになる。

 

グローバリズムの波を止めることは出来ないので、今の段階で英語を学ぶことは確実に求められる。

しかし、二言語を扱うということは、二つの文化を操ることになるということも忘れてはならない。

 

個を尊重しつつ全体の調和も大事にする、そんな最強なオーケストラグループの様な文化ができるまでは、まだ時間がかかりそうだ。